第二次大戦の悲劇「ベルリンに処女なし」


第二次大戦末期、ベルリンに押し寄せたソ連軍兵は昼夜を問わず、ドイツの若い女性をレイプした。スターリンから「ベルリンはおまえたちのものだ」「ドイツ女のプライドを打ち砕け」と言われた上での行動で、半ば軍公認だった。

 

幼女から老婆まで犯された。町の病院には会陰が肛門まで裂けた女性や、淋病や梅毒を感染させられた女性が大挙して押し寄せた。23人もの兵士にたてつづけにレイプされ、のちに病院で縫合手術を受けることになった女性もいる。

 

「ベ ルリン終戦日記」によれば、女学校に女生徒が詰め込まれ、マットレスを持ち込んだ兵士たちに輪姦された。一週間で250人の兵士に暴行された少女もいた。 ある女子寮では強姦された女性寮長と8人の少女が自殺。性的に未熟な13歳、14歳の少女の中には自殺する者も多かった。

 

ナ チスドイツでは女性の中絶が禁止されていた。ソ連兵に強姦されたことを証明できれば可能であったものの、強姦されたことを夫や彼、親にバレることを恐れて 言えず、中絶できずに産むことを余儀なくされる女性も多かった。1万人以上が妊娠、千人以上のロシア兵士の子供が生まれたと言われる。

 

ベ ルリンでは、人々は若い女性を屋根裏部屋に隠し、髪の毛を切り、男のようにズボンをはかせた。危険な夕方は一歩も家から出ず、早朝、二日酔いで寝ているロ シア兵の隙をついて食料調達のために町へ出る女性は、煤(すす)で顔をわざと汚し、ボロを身にまとい、ブツブツと意味不明のことをつぶやいて狂人や老婆の フリをした。一方で、自分の娘を助けようと、他の家の娘の隠れ場所を教える母親もいた。

 

ソ連軍が引き上げた後、ベルリンでは子供たちの間で「強姦ごっこ」が流行った。森や山に逃げた女の子を男の子が追いかけ、捕まえた男の子がその上に馬乗りになるというゲームだった。